ゆっくり走るよ

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2022年04月

移転
 
ウラル・ジャパンは4月20日、ニュースレターを更新し、現在ロシア・スヴェルドロフスク州イルビトにある車両の生産工場を、カザフスタン共和国北カザフスタン州ペトロパブルへ移転する事を発表した


予定では4月中に書類上の手続きを終え、5月からカザフスタン新工場からのボディパーツなどの部品の発送を開始。8月までに車両の生産を再開する、としている。

ロシアのウクライナ侵攻に対し西側各国は経済制裁を続けている。
日本では4月19日からロシア製品の一部品目について輸入が禁止された。

禁止品目の中には自動車・オートバイ製品が含まれており、ロシアで生産されるウラルの車体や部品が輸入できない状態となった。

しかし現在のウラルは、ロシアに生産工場があるものの、本社をアメリカに置く民間企業だ。
この様な事態を見越して、早くから工場移転が考えられていたようだ。

ウラルUSA公式Twitterでは4月16日に移転先の動画を公開している。

生産工場の国外移転で、懸念されていた部品の供給については解決の目処が立った。
早急な部品や車両の生産再開を期待したい。


単車
 
古い言い方ですが、オートバイの事を「単車」と言う事があります。
どうしてオートバイの事を「単車」と呼ぶのでしょうか。


このように解説をしているTwitterの雑学アカウントがあるんですが、オートバイの歴史について少しでも知っている人が見れば明らかな誤りだとすぐに分かります。

ご存じの人も多いと思いますが、オートバイは自転車にエンジンを付けたものが開発の起源ですので「開発されて間もない頃は、必ずサイドカーが付いており」と言う事はあり得ません

「オートバイが日本に入ってきた時にはサイドカーが付いていた」と主張する人が居るかも知れませんが、それもあり得ません

軍用車としてはハーレー・ダビッドソンとそれをライセンス生産した陸王などの車両がサイドカー付きで使われましたが、それ以外にもハーレーやトライアンフのオートバイが輸入されています。
国産ではアサヒ号(1933年)メグロ号(1937年)が生産されています。
これらは有名なので名前ぐらいは知っている人も多いはず。

日本最初の自動車交通法規である1919年(大正8年)の「自動車取締令」には次のように書かれています。
第三十三條 自動自轉車〈サイドカー附ノモノヲ除ク〉及オートペッドノ類ニ付テハ其ノ運轉者ニ封シ第三條、第二十五條及其ノ罰則ノ規定ヲ適用スルノ外本令ヲ適用セス

ここで言う「自動自轉車」とは現在のオートバイの事で、「オートペッドノ類」とは現在の原動機付自転車の事です。
この条文はオートバイや原動機付自転車については最高速度や事故発生時の義務を除き自動車取締令が適用されない事を示しています。
これには「サイドカー附ノモノヲ除ク」の一文があり、オートバイとサイドカー付は明確に区別されています。
つまり「バイクとサイドカーを合わせて一つの乗り物と考えられていた」訳では無い事が分かります。

更に、条文には「サイドカー」と書かれている事に注目。
1919年時点において「側車」と言う言葉はまだ公文書に使用されていないのです。
これは「側車」と言う言葉が、これより後に生まれた事を示しています。

一方、軍用車の代替燃料を研究した1924年(大正13年)の燃料協会講演「自動車代用燃料實用成績に就て」において「自動二輪車(側車附)」の記述があります。

サイドカーと言う意味での「側車」はこの頃までに誕生したと考えられます。
「側車」の対義語としての「単車」も同時期に誕生した可能性が高いです。




明らかな誤りであるこの「雑学」を紹介するアカウントは多数あり、文面も全く同じなので同じ引用元があると思われました。



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単車とは(チューリッヒ保険会社)

最初は世紀のデマアカウントとして有名なチューリッヒ保険会社がまたやらかしたのかと思ったのですが「単車」と呼ばれるようになった由来は「不明」となっています。


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単車とは(インターネットアーカイブ)

ところが、インターネットアーカイブで初出記事を確認すると件のデマがしっかり記載されていました。
やっぱりかー!
きっと誰かに指摘されて、しれっと削除してたんですね(笑)
まあ、この記事は2020年初出なのでデマの発信源ではないようです。
裏付けも取らずに書いちゃうところはいかにもチューリッヒらしいですが。



そこで、Twitterを検索して過去のツイートを辿ってみました。


現在確認できるツイートは上記が最古のものですが、この方もどこかの記事を引用しているようです。
恐らく元記事は既に削除されてしまっており、ファクトチェックも行われないまま引用の引用が繰り返し行われてしまっているようです。


では、オートバイを「単車」と呼ぶ本当の理由は何なのでしょうか。

2018年1月20日付の乗りものニュースの記事で、モータージャーナリストの伊丹孝裕氏は次のように解説しています。
 言葉が生まれた時期としては第二次大戦前後です。このころはサイドカー、つまり「側車」付きのバイクが一般的で、これに対しバイク単体で成立していたものを「単車」と呼んだといわれています。ただし、諸説あります。
この記事では引用元が示されておらず、「このころは側車付きのバイクが一般的」とする裏付けが取れませんでした。
しかし「単車」については、大日本帝国陸軍の戦術の教本「作戦要務令」(1940年=昭和15年)において、
第百十五
 戦車(装甲車)ハ地形妨ナキ限リ短時間内ニ捜索ヲ強行スルニ適スルモノトス
而シテ戦車斥候ハ二車以上ヲ以テスルヲ通常トシ近距離ニ於テハ単車ヲ使用スルコトアリ
と書かれている事からも軍隊で用いられていた用語である事が分かります。


なお、「軍隊ではサイドカー付きオートバイを複車と呼んでいた」との言説を複数見つけたのですが、私が調べた限りでは「複車」と言う軍隊用語を見つける事が出来ませんでした。
因みに「側車」は普通に使われています。

九七式側車附自動二輪車
【九七式側車付自動二輪車(福山自動車時計博物館)】


これに関して、2016年10月10日付け二輪車新聞のコラムにおいて、元編集長の小川孝氏は、
「単」の反意語は「複」だから、うっかり「複車」と書いてしまったのだろう。コピーじゃあるまいし、複車はないだろう。
と述べています。


また、「ジーニアス英和大辞典」を出版している大修館書店の「漢字文化資料館」では、英語の「solo」は「サイドカーの付いていないオートバイ」の意味があるとして、
「単車」ということばは、いかにも英語の「solo」の訳語っぽく思えますから、「サイドカーの付いていないオートバイ」説の方が正しいように思われてなりません。
と述べています。

確かに「側車」「単車」は英語の「sidecar」「solo」を直訳しただけのように思います。


英語の直訳として「側車」「単車」と言う言葉が生まれ、それらを軍隊が用語として採用した結果、一般に広まったと考えるのが自然ではないでしょうか。

Ural-Solo-sT
【ウラル・ソロST(2012)】

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